ピザと心

 田舎の町に住んでいた僕は、おそらく高校生まできちんとしたピザを食べたことがなかった。
 もしかしたら、僕の町にはピザが存在しない可能性すらあった。
 ピザを食べている人を見たこともなかった。

 ピザに似たものはあった。
 それはたしかピザパンと呼ばれていた。
 やたら分厚い食パンの上にチーズとソースが塗ってあって、怪しげなサラミが乗せてある。
 たぶん具はそれだけだった。(もしかしたらピーマンのくずみたいなものも乗っていたかもしれない)
 冷凍食品で、電子レンジで解凍して食べるものである。
 小学生の僕はそれがピザではないということを知っていた。
 ミュータントニンジャタートルズというアニメに出てくるピザは、もっと大きい円盤みたいで、三角に切ってあって、手に取るとチーズが伸びて大変美味そうだ。
 しかしピザパンはチーズが伸びたりしなかった。
 それでもピザパンはストーブみたいなあったかい匂いがした。
 ごちそうだった。

 冷凍庫には時々ピザパンが入っていた。
 僕はそれが食べたかったが、電子レンジの使い方がよく分からなかった。
 歳の離れた姉が帰ってくるまで待ち、あたためてもらった。
 姉は、自分が温めたのだからといって、ピザパンを半分持って行った。
 本当は僕はピザパンを全部ひとりで食べたかった。
 しかし姉がいなければピザパンの一切れすらも食べられなかったのだから、手間賃はやはり必要だった。
 わがままを言うと圧倒的な武力で叩き潰された。
 僕は「対価を支払う」ということを学ばされた。
 姉は僕に対して「電子レンジは非常に危険なもので、小学生ごときが扱えるものではない」という誤った情報を伝えて、ピザパンの使用に税をかけつづけた。
 僕が知恵をつけてひとりでピザパンを食べるのを恐れたのだ。
 成長した僕は電子レンジの使い方を覚え、「完全犯罪」を行うようになった。
 ピザパンの袋を捨てるときはゴミ箱の奥深くに隠す。焼けたパンの匂いに気付かれないように窓を開けておく。母親が姉に「ピザパン食べたの?」と聞く前に、母に事前に食べたことを伝えておく。命がけだった。考えうるあらゆるリスクに対する準備が必要だった。ひとつでもミスをすると、恐るべき制裁が待っている。
 飢えて震えるか、戦って喰らうか、僕は選ばなければならなかった。
 持たざる者に、分け合うという選択肢は無い。
 血塗られたピザパン抗争は、僕が中学生になるまで続いた。
 中学生になった僕は、ピザパンの味にあっさり飽きた。

 高校生になり、友人関係も変わっていった。
 地元の中学の友達より、少し栄えた町の方に住んでいる友達と遊ぶようになった。
 高校一年生の頃、クリスマスパーティーをやろうということになった。
 友達の家に行ってみると、テーブルの上に本物のピザがあった。
 ミュータントニンジャタートルズで見た、あのピザだ。
 僕はものすごく衝撃を受けた。
「ピザって本当にあるんだ!」と思ったし、「ピザを買う家があるんだ!」とも思った。
 カルチャーショックだった。
 文明レベルの高さが恐ろしかった。
 本物のピザは冷凍ピザパンなんかより100倍もおいしそうで、とてもよい匂いがした。
 きちんとチーズが伸びた。
 生地は薄くて香ばしかった。
 ウインナーもぱりぱりだった。
 もっとこれを食べたいと思った。
 全部食べたいと思った。
 でもその頃にはもう、分け合うことができるようになっている。

 成人して、ピザを宅配してもらった時、なんだかすごく偉くなった気がした。
「先に食べていいよ。余ったやつ食べるから」なんてことを言った時、眼の前に広がる光景は、この上なく平和だった。
 奪い合うこともなく、隠れて食べる必要もない。
 もし姉とピザを食べる機会があるなら、その時こそ僕たちは、お互いを認め合うことができるだろう。
 どうしてピザが丸いのかについて考えることだろう。
 そしてやっぱり、ごく単純に、おいしいと思うのだろう。