春の日にスケキヨでやりたかったこと

 やりたいことがたくさんある。

 

 僕はスケキヨのマスクを使う機会をずっと待っていた。

 今日がその日だった。

 

 

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 僕は僕のやりたいことがよくわからない。

 でも実際にやってみると、何がやりたかったのか分かることがある。

 

 

 

 

 

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 東京に戻ってきた友達のS君と二人で写真を撮った。

 僕たちはずっと笑っていた。

 変なことが好きな友達がいてよかったと思う。

 こういうことは、一人だと上手く出来ない。

 

 

 

 

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 かっこよくなくてもよいし、上手じゃなくてもいいと思う。

 面白そうなことを、考えたり、想像したりするのが、僕は好きだ。

 実際に行動してみると、新しい考えが生まれたりすることは、もっと好きだった。

 

 

 

 

 

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 S君は「東京に戻ってきてよかった」と言った。

 その一言だけで、やってよかったなあと思った。

 

 

 

 

 

 

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 あたりまえの日常に血まみれのスケキヨがいたら面白いなと思っていた。

 こうして写真を撮ってみて、やっぱり面白いと思った。

 タオルでは血糊が落ちなかったので、のどごし生で手を洗った。

 S君は「今度は子供のスケキヨを撮ろう」と言った。

 そういうことなんだよ! と僕は思った。

 そういうことが僕はやりたい。

 新しい変なことが、生まれるようなこと。

 

 

春に見たもの

今週のお題「桜」

 

 そういえば、故郷に帰った時のこと。
 道端のなんでもない場所にフキノトウがわさわさっと生えていた。
 さわやかな緑色をした太いフキノトウで、20本くらい集まっていた。
 周囲には枯れた木や草が茶色くなって倒れていて、フキノトウだけが鮮やかだった。
 故郷はまだ時々雪が降るくらい寒いのに、彼らは気にしていないように見えた。
 とんでもなくファンキーな奴らだった。

 近所の桜の木が開花を始めている。
 現在のところ何分咲いているのかとか、詳しいことはわからない。
 けれども確かに桜はピンク色の小さな花弁をつけて、空の青にちょっと混ざって儚げな、少しドライな、淡い感じの、けれど獰猛な、しかし微笑んでいるような、目にするたびに「あっ、咲いている」と思わせてくる力のある咲き方で、咲いている。
 毎年毎年、よく忘れもせずに咲いてくれるものだなあと思っている。
 見た目は華やかだけれども、律儀なところに好感が持てる。

 桜ばかりではなく、よくわからない花も咲いている。
 三ツ矢サイダーの撮影をした時、あちこちを散歩していたら、小指の爪より小さな、鉛筆の芯ほどの小さな青い花をみつけた。
 それは土手の斜面に他の草に埋もれるようにして咲いていた。
 花びらは一枚しかない。
 その一枚が雄しべだか雌しべだかを包むようにして、くるんと丸まっている。
 どうしてもっと花っぽくしなかったのか、きっとその花には花なりの理由があるのだろうと思った。
 小さすぎて逆に印象に残っている。
 そういう花だった。

 くちばしがオレンジ色で、ずんぐりした鳥を見たことがある。
 東京の、ちょっと緑が多い場所によくいる鳥だ。
 体の大きさは、雀よりも大きくてカラスよりも小さい。
 日本の鳥らしく茶色ベースの地味な色をしている。
 ただくちばしだけが鮮やかなオレンジ色なので、前からなんだか気になっていた。
 彼らは土や草の上をすたすた歩きながら、時々地面をつついている。
 体が丸く、顔も愛嬌があるので、見ていて飽きない。
 ちょっと優しく手でつかんでみたくなる感じがある。
 調べてみると、彼らは椋鳥(むくどり)という名前らしい。
 故郷ではあまり見なかった鳥なので、見かけると嬉しい。
 この間、ものすごくたくさん集まって地面をつついていた。
 緑の草の上にむくどりが密集して陽の光を浴びていると、真っ赤なセーターを着た子供が両手を振り乱しながら走ってきて、全てを蹴散らして去った。
 草原に、一陣の風が吹いた。

 行ったことのない図書館に行ってみようと考えた。
 駅を降りてグーグルマップを頼りに進んでいくと、道は住宅街に入った。
 閑静な町だった。生活音もほとんど聞こえなかった。空は薄い青色で春の陽射しが気持ちよかった。
 サングラスをかけた老人がカーブミラーの下で遠くを見ていた。
 遠くで電車が走る音がした。
 道の脇の家々は途切れることなく続いていた。
 マップの図書館がすぐ近くまで来た時、不意に公園に出た。
 公園には桜が咲いていた。
 空が見えないくらい、たくさんの桜だった。
 木の下では人々が飲んだり笑ったりしていた。

 図書館に入って、窓際の席に座ってみた。
 桜は見えなかった。
 本を読んだ。

 

 

帰郷記

 家に帰らなければならないとずっと思っていて、帰る家も無いんだけれども、母に会わねばならず、おそらく母というものはずっと母なのだと思うけれども、どんな物事にも一応の時間制限があって、このことについてはもう何度も考えて、書いてきたのでここで書く必要も特に無いようだと思われたので書かないけれども、若い頃には全然気にならなかった時間というやつが気になりはじめるお年頃になって、不意に会社が意味もなく三連休をくれたので、この機会を逃すとまた二年、三年と機会を逃し続けることになると思い新幹線に飛び乗って、サッポロ生ビールを飲みながら窓の外を見ていると、都市がすごい勢いで過ぎ去っていく、田舎が同様に過ぎ去っていく、押し寿司をうまいうまいと食べながらまたビールを飲んで眠ってしまう、そんなぼんやりを繰り返していると、故郷の町にぷしゅうと新幹線が止まって、窓の外は雪の舞い散る冬である。

 新幹線からホームに降り立つと酷く寒かったが分厚いミリタリージャケツを着てきたので震えることがなかった。エスカレーターを降りてガラス張りの待合室の前を通り過ぎ、自動改札に切符を入れると気持ちのよい速度で切符が吸い込まれていった。改札を出てまたエスカレーターを降りると目の前に巨大なガラスの壁が現れる。ガラスの向こうは真っ白な雪で覆い尽くされている。ガラス壁の下の方に自動ドアがあるのに気づいたので近寄ってみるけれど、開かない。雪で埋もれてしまっているのである。どこかに出口が無いものかとうろうろしていたけれどガラス壁に設置されている自動ドアはどれも固く閉ざされていた。おそらく故郷に何かただならぬ事件が起きているのだ。その証拠に、眼前のガラスの向こうの降り積もった雪に目を向けてみると人の足や犬の首輪や古びた腕時計や真っ赤な目薬や匂いのしなくなった香水や枯れた桜や馬のいななきやカラスの体温やすり減った鍵などが埋まっているのが分かるのである。僕の故郷は前から少しおかしんではないかとあやしんでいたのではあるが、ここまではおかしくなかった。どうしようもなくなった時に誰もがそうするように「お母さん!」と誰にともなく叫んでみると「あっ、人間がいる!」と背後からわりと大きめに叫ぶ声が聞こえて振り向くと藁で編んだ笠を被った少年が目を真ん丸にしてこちらを指さしている。
 少年は笠と同じ素材の長靴を履いていて、青いちゃんちゃんこを着ていて、雪のように白い肌をしていた。僕が口を開く前に少年は「人間はもう全部雪に埋まっちゃったんだぞ! 外を歩いていたらダメなんだから」と僕を責めているようなので慌てて言い訳を言い募るために「あの」と言った時に「雪の女王様がそうしたんだぞ! あのおっかないおっかさん」と言う。調子が全然合わないからなんだか全然しゃべれない。仕方ないのですこし相手の話を聞こうと思って沈黙を保っている時に限って少年もしゃべらない。なんだか気まずくなってきたので「きみは」と口を開いてみた時「女王様に言いつけてやる! へんてこな人間め」と穏やかではないことを言うので僕は少年の元まで走り寄り彼にコブラツイストをかける。「助けてぇ! 溶けちゃうょ~~」と少年が実に哀れっぽく叫んだ。離してやると、少年は僕を憎悪のこもった目で睨みつけた。僕は「家に帰りたい」と言うことができた。
「家に帰りたいんだけどこの駅から出ることができない」
 少年はまだきつい目で僕を見つめていたけれど、たぶん痛い目にあうのが嫌だったのだろう、
「そんなら愛を探しに行けばいいじゃないか」と言った。

「愛? 愛だって……? なんでそんなものが必要になるわけ」
 僕が氷よりも冷たく言い放つと、少年は自らを抱いてブルルと震えた。
「愛も知らない人間なんて聞いたこともないや、ブルル!」
 だからあんたは凍っていないのかもしれないな、元が冷たいから。と少年が言うので僕はポケットからほかほかカイロを出して彼に近づいた。彼は危険を察知して脱兎のごとく走り出しながら「愛をみつけると人間はあったかくなるようにできてて、だからその熱で雪が溶けるかもしれないよ!」と親切に教えてくれた。なるほど、たしかにそういうこともあるかもしれないと思い、巨大なガラス壁の方に向かって歩いた。ガラスの向こうの雪の層に何か愛が埋もれているかもしれないと考えたのだ。そして雪の隙間から見えている物の隙間に、見覚えのあるポスターをみつけてしまう。拳銃のポスターだ。拳銃は銀色にピカピカ光っていて、赤い上品な布の上に乗せられている。とてもかっこうがいいのだ。とてもかっこうがいいのだけれど僕はその場にうずくまり胸をかきむしることになった。心が痛い。激痛である。僕は思い出に殺されようとしている。
「おい人間! おなかがいたいのか」
「胸が痛い。大変なものをみつけてしまった。あの拳銃のポスターだけはダメなんだ。死にたい」
 少年がそっと僕の背中に手を乗せ「よしよし、良い感じに凍ってきているぞ」と言った。
「僕は中学生の頃、鉄砲や戦車や戦闘機がとても好きで部屋中に雑誌から切り抜いたページを貼り付けてとても幸せだった。けれどそのまま高校生になってしまって、あまり興味もなくなっていたけれどポスターは部屋に貼ったままにしていて、ある日友達が家に泊まりに来たことがあって、うっ、だって部屋中に鉄砲や戦車の写真が貼ってある高校生、ぐぐっ、そんなのはおかしいじゃないか、そんなことにも気づかなかったんだ僕は」
 僕の心を凍てつく波動が襲っている。
「すっごい冷たくなってきた! ヒョオー! 女王様に頼らなくても凍らせられるかもしれない」
 少年はさわぎながら立ち上がると、「あれはどうだ」と言いつつ嬉々として何か小さなものを指さした。
 凍りついた黄色い小鳥だ。
 それはリビングの端の檻の中で静かにさえずっている。母が綺麗に掃除をしていたので鳥の家はいつも綺麗だった。インコの名前はピッピだった。どこにでもある名前だった。けれどこの世界に一匹しかいないインコだった。ピッピは僕が近づくと檻に飛びついて僕を見つめた。檻の隙間に指を差し込むと、ゆっくりくちばしを開けて真ん丸な舌を動かして指を噛んだ。嬉しかった。母が檻の扉を開けると、ピッピは飛び立つ。そしてソファーの前で新聞を読んでいる父の頭の上に止まる。ごましお頭の父の髪の毛を歩きにくそうにもそもそも歩いている。それを見て姉が笑った。「お父さん、なんだかあほみたい」カーテンを透過した春の陽射しは柔らかく、暖かかった。
 胸の痛みが消えている。
 凍りついた小鳥は羽ばたき始める。小鳥の体は徐々に前進を始め、その周りの雪が音もなく消えていく。小鳥はついに自由を取り戻し、縦横無尽に飛び回り始める。彼は「ピッピ!」と鳴いた。それは当時、彼が唯一喋ることができた人間の言葉だった。「おはよう」も「かわいいね」も「ピッピ!」のひとことで全て返事した。彼にとってそれは全ての概念を含んだ完璧な言葉なのだ。だから彼はきっと「がんばって」と言っているに違いない。また歩き出せる。僕はその場に胸を張って立ち上がる。ピッピは雪の壁の奥に飛んでいく。
 少年は「チッ」と舌打ちをした。

 自動ドアががりがりと雪に突っかかりながら開いていく。ピッピが雪を溶かしてくれたので、雪の壁の奥に進むことができる。僕が出口に向かうと、少年が立ちふさがった。少年はむっつりした嫌な表情をしている。
「この先はもっと寒いぞ! あんたなんかたちまち凍ってしまうぞ」
「でも僕には他に行くところもない」
「電車に乗って帰ればいい! 今なら全部なかったことにできるぞ」
 僕はその可能性について考えた。それはそれで面白いかもしれないし、安心なのかもしれない。けれどきっとこの先ずっと、家に帰らなければならないと考え続けることになるだろう。
「行くよ。行ってみたいんだ」
「この先に進みたいなら、おらを倒してから行け!」
 少年が両手を広げて通せんぼするので、僕は彼をそっと抱きしめた。
「熱い!」
 少年はすぐ脇に飛びのいた。
 僕は先に進んだ。

 雪の壁の向こうは、氷の回廊である。
 凍りついた町の上空に幅五メートルほどの橋がかかっていて、それは延々と続いている。空は深いグレーで、時折稲光がまたたく。風は弱いけれど酷く冷たい。手がかじかんでとても痛いのでポケットに突っ込んで滑らないようにゆっくりと歩く。
「ほら、おっかないぞ! おっこったら骨までばらばら」
 少年が背後で何か喚いている。どうやらついて来たらしい。害をなす感じではないので放っておくことにした。
 寒さに震えながら回廊を進んでいくと、道の真ん中に人影が見える。
 真っ黒な服を着ている小柄な人だ。
 様子を窺いながら近づくと、セーラー服を着ていることから女子高生であることが分かる。
 髪を頭の両脇で結っている。眼鏡をかけていて、きっつい目で僕をまっすぐに見つめている。
 Hさんだ。
 僕はその場で回れ右をして、ゆっくりと来た道を戻り始める。
「あれ、あんた結局帰るの?」
 少年が不思議そうな顔で言う。
「うん、もういいんだ。この場所にはまったく価値がない。帰ってアニメを見るんだ」
「あの女が原因なのか? あのおっかない人」
「あの人が原因かどうかなんてこの際どうでもいいじゃないか。帰るべきときに帰る。それが大人ってものじゃないか。引き際が肝心だ」
「でもあの女は帰すつもりが無いようだよ」
 急いで振り返ると、Hさんはこっちに向かってのしのし歩いてくる。氷の上だというのにやたら速くてそうっと歩いている僕に追いつくことなど彼女にとっては造作もないことで足音が背後から近づいてきて気がつくと目の前にHさんが立ってゴミを見るような目で僕を見て、
「あんた、」と彼女が低い声で何か言おうとした時、
「ウワッーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!」
 僕はうずくまり耳を塞いで大きな声を出した。
 何も聴きたくなかった。聞けばきっと心に深い深い傷がついてもう人間の形を保てなくなると思った。
 だから目を閉じて耳を塞いで大きな声を出しつつ膝で少しずつ前進している。
「ほんとに私のこと好きなの?」
 頭の中に直接響いてきた声によって僕の心臓は七つの光る欠片になって飛び散った。

 お風呂に入ってちょっとでかけてくると親に告げそろそろ雪が降ろうとしている時期の真夜中11時に家を出た僕は自転車に乗って猛烈にこいで白い息を吐く。Hさんの家は遠い山の奥にあって川沿いの道はとても静かだったし、いつものように人がひとりもいなかったけれど寂しくは無かった。オレンジ色の街灯が灯る橋を超えて陸上競技場の横の歩道を飛ばした。小学校の横の巨大な木は夜空に溶けて見えなくなっていて線路の踏切は異界の門のように薄暗くライトアップされている。更に狭くなった路側帯を自転車でひたすら進んでいくと左手には暗すぎて距離感のつかめない山が浮かんでいて右手には枯れた田んぼが乾いた匂いを放っている。何故自分が呼ばれたなのかまったくわからなかったけれど高校生になってはじめて女子の家に呼ばれた僕の自転車の速度はほとんどタキオンを超えていた。運動のせいで心臓が高鳴っているのか何かあほっぽい理由でときめいているのか分からなかったけれど持て余した鼓動を耳の奥で感じつつHさんの家は2階建てのこぢんまりした家で道に自転車を止めて震える手で「今ついた」とメールを打つと家の裏に回って、とすぐに返信がくる。意味がわからないと思いつつ正面玄関の右手にゆっくり進むと犬が居ておもいっきり吠えられる。漫画みたいだとはっきりと思った。漫画みたいで、僕は思いっきり間抜けな世間知らずの高校生の子供の役だ。頭の中が性でいっぱいの自転車を飛ばしてきた愚かなチンパンジーだ。おろおろしながら逆の家の側面に向かうと窓からHさんが顔を出していて「バカ! 親が起きる!」と小声で怒っている。素直に謝ると靴を持って窓から入れと言われる。その頃にはもう完全に思考停止していて言われるがままに靴を持って窓枠に飛びついてベルトのバックルをどこかに引っ掛けて派手にがりがり言わせながらどすんと仏間に落ちた。Hさんは完全に白けて顔で僕を見ていて「静かに来て」と言って歩いていき狭い階段を上り二階の襖を開けると強いお香の匂いがする物がたくさんある部屋に招かれてHさんはくたくたになった寝具が敷いてあるベッドに座った。彼女はパジャマを着ていて「遠かったでしょ。夜中に呼んじゃってごめん」と言った。ごにょごにょ返事をして地べたに座った僕は周囲を見渡していることしか出来ず、「ゲームボーイあるけど」と言われて差し出されたゲームボーイテトリスを命がけでプレイする。もしひとつでもミスをしたら世界中の爆弾が爆発するのかというほどの気合でプレイする。だからなかなか死ななくてでも何か言うことも思いつくわけでもなく、静まり返った部屋にどんどん悪い空気ばかり溜まって息が苦しい。窓を開けたい。「寝よっか」と言われて電気が消え「こっち来れば」と言われて布団に入りどんな哲学者にも負けないくらいの思考が脳裏で延々と繰り広げられたあと、彼女は言った。

「それでどうなったんだ?」
 少年は回廊から削り出した氷をうずくまった僕の背中にかけているらしい。先程からそのような音や感触を僕は感じている。
「何もなかったよ。何か意味のないことを言って結局家に帰ったよ。それから一度映画を見に行ったら映画がやっていなくてものすごく嫌われて音沙汰がなくなったよ」
「いいぞいいぞ! そのままどんどん冷たくなればいいよ」
「でも本当はもう大丈夫なんだ」
 体を震わせて氷を振り落とし、立ち上がる。
 酷く冷たくて寒かったけれど凍りつくほどではない。こんなのは多分世の中のもっと冷たいことに比べたらスウィートなことなのだろう。Hさんよりも気の利かない僕の方が悪かったような気もするところが更に滑稽でもある。
「でもやっぱりこういうことは思い出したくなかったと思う」
 僕がHさんをそっと抱きしめようとするとHさんは「ワァッ」と叫んで奈落に自ら飛び込んで行った。ずっと下の方でパラシュートが開くのが見えた。
 氷の回廊には様々な人物がいた。
 僕は凍ったり暖かくなったりを繰り返しながらゆっくり進んだ。
 そしてついに雪の女王の城にたどり着いた。

 氷の女王は謁見の間の高い段の上で、枯れ木に水をやっていた。
 じょうろから出る水はどんどん凍りついた。枯れ木は巨大な氷に包まれている。
 女王の髪は雪のように白く、唇は燃えるように赤かった。
 女王は夢見るように笑っていた。
「友達はみんな死んでしまった」と彼女は言った。
 氷はどんどん大きくなる。
「仲が良かった人は、みんないなくなってしまった」
「私は世界にひとりっきり。そして枯れた木にずっと水をあげている」
「もう面白いと思えるものも何もない」
 空気はどんどん冷たくなっていった。
 僕は凍りつかないように顔をさすった。
「何も食べたいと思わない」
「どこへ行きたいとも思わない」
「この凍りついた町で、私は何も感じたくない」
 なんと声をかければいいのかわからない。
 諦めてしまった人に、何もいらないという人に、何をしてあげられるんだろうか。
「おら、そういうのはわかんないけど、でも会いに来たよ、おっかさん」
 少年が言った。
 雪の女王は、そこではじめて少年に気がつき、酷く落ち込んだ顔をした。
「あなたは、ずっと遠くに行ったと思っていた。もう帰らないと思っていたのに。あなたが出て行ったのは、私が悪いからだね。私が氷の女王だから、私に会いたくないって思ったんだね。私は悪いやつだったね」
 少年は口を一文字に結んで、
「そんなことはないぞ」と言った。「おっかさんがそう思いたいならそう思えばいい。でもおらはおっかさんが悪いとは思わない。おらは人間にくっついて歩いて、ちょっとわかったんだ。人間なんてもんは暖かかったり冷たかったりする。ただそれだけなんだ。だからおっかさんも、暖かかったり冷たかったりすればいい!」
 叫んだ少年は藁の帽子を脱ぎ去り、藁の長靴をけとばした。
 ほっぺの赤い丸々と太った暖かそうな子供が姿を現し、女王のもとに走っていく。
 女王は反射的にじょうろを取り落とし、両手を広げた。
 腕の中に子供が飛び込んだ。
 その時、この町の氷の全てが割れ、弾け飛んだ。
 謁見の間の木には満開の桜が咲いた。
 暖かな春の風が女王の城を溶かす。春の日差しが母子を包む。
 春の女王は、桜の木を見上げて言う。
「木に花を咲かすためには、一度冬を体験させないといけないの。常温に置いとくと、ずっと葉っぱのままなの」
 ふうん、と僕は思った。

 上記のようなことは全く起こらなかった。
 新幹線を降りた僕はホームからエスカレーターを降りて改札に切符を入れた。
 改札の前で、少し痩せた母が寄り目をして、ひと目をはばからず変顔していた。
「ただいま」と声をかけると、途端に真顔に戻り、
「あっらあんた、ノリ悪ぐなったんでねが?」

 

最後の一日

 いつもなら、昼の仕事が夜の仕事まで食い込む。
 けれど今日は昼の仕事がずいぶん早く終わった。
 日曜日の作業部屋にはひとりしかいない。

 バックヤードに入って腕立て伏せとスクワットをした。
 それから椅子を二つ並べて寝転がった。
 星野源さんのエッセイを少し読んだ。
 それからブラインドの隙間から入ってくる白い光をぼんやり眺めた。
 こうしていると世界のあらゆるものから取り残されてしまったような気持ちになる。
 でもそれが錯覚だということも知っている。
 忙しく働いていても、椅子に寝転がっていても、時間は全てを置き去りにしてゆく。
 僕だけが取り残されるわけではない。

 しばらく目を閉じて、体がぽかぽかしてくるのを感じている。
 作業部屋のドアが開く音がしたので体を起こすと、松浦くんが姿を現した。
 彼は夜の仕事の相棒だ。
「えっ、昼の仕事もう全部終わったんですか」
「そうだよ。とても早く終わったんだよ」
「びっくりしました。すごく静かなので」
「寝てたよ」
 彼は笑った。

 夜の仕事がはじまる。
 机を挟んでとりとめもないことを話した。
 笑い話だ。
 話しているのは主に松浦くんだった。
 僕は相槌を打っている。
しじみさん、今日、仕事終わったら飯に行きましょう。スタ丼にしましょう」
「春だしね」
「今日は俺の本気を見せます。しじみさんに一回は見せておかないとって思ってたんです」
「とんでもない量を食べそうだな」
「たぶん笑えますよ」
 笑えるくらいの食べ物をテーブルに並べている松浦くんを想像すると笑えた。
 僕の仕事は、これもずいぶん早く終わった。
 暇だったのでyoutubeでZombiesの『Time Of The Season』を聴いた。
 T.Rexの『20th Century Boy』を聴いた。
 SMAP の『SHAKE』を聴いた。
 B'zの『さまよえる蒼い弾丸』を聴いた。
 Mr.Childrenの『HANABI』を聴いた。
 System Of A Downの『Sugar』を聴いた。
 松浦くんは歌ったり携帯をいじったりして連絡を待っていた。連絡が来なければ作業部屋を出ることは出来なかった。
 いつまで経っても連絡は来なかった。
しじみさん、もうこうなったら一緒にアニメを見ませんか?」
「よし、見よう」
しじみさんが好きなのにしましょう」
「そうなると迷うなあ」
 椅子を並べて松浦くんの携帯でアニメを見た。
『バーチャルさんはみている』の一話を見た。
『えんどろ~!』の一話を見た。
 22時になっていた。

しじみさん、すみません。飯行けそうにないです。たぶん向こうで何か問題が起きてるんだと思います」
「じゃあ、仕方ないなあ。帰るよ」
「ほんとは飯行きたかったんですけど」
「うん」
 荷物をまとめて立ち上がる。
 ジャケットを着て、
「松浦くん、ぼかぁさよならは言わないぜ」
 と、冗談めかして言った声が震えていた。
「じゃあ、お疲れ様です、でいいですね。いつもどおりで」
「うん、お疲れ様。また今度な」
「はい、また」
 僕は作業部屋を出た。


 松浦くんは会社を退職する。
 彼と会社で会うのは今日で最後だ。
 色々なことを考えた。
 今日の結論のひとつはこうだ。
「嫌なことばかりに注目するのは、良かったことに対してフェアじゃない」

 

 

今週のお題「卒業」

 

好きなジュースと出かける

好きなジュースと出かけることは好きだ。

 三ツ矢サイダーがすぐそばにいるということ。

  それがどれだけ僕を強くしてくれるか。

 三ツ矢サイダーは、そんなことは考えないんだろうけれど。

爽やかな甘みと刺激的な炭酸のバランスは。

 僕の理想の。

 

 

 

 

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あいにくの曇り空でも三ツ矢サイダーは堂々としている。

 どこにいても自分がサイダーだということを、

  決して忘れたりしない。 

   防波堤の上から僕を見下ろす三ツ矢サイダーは、

 どこか笑っているようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 三ツ矢サイダーはいつだって楽しそうだった。

  明るくてはきはきしていて、自信がみなぎっていて。

   時々、意味もなく物陰に隠れたりして。

 いたずらっぽい表情の奥に隠しているのは。

サイダーとしての、プロ意識。

 "喜ばせたい"

 

 

 

 

 

 

 

 

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 こんなに急な階段は、ジュースには辛かったかもしれない。

  けれど三ツ矢サイダーは、辛い顔ひとつ見せなかった。

   サイダーとしての矜持は誰よりも強い。

    どんなライバルにだって負けやしない。

     "より高みへ――三ツ矢サイダー。"

 

 

 

 

 

 

 

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 キミが不意に見せた真顔。

  僕らの胸を締め付ける、まっすぐな視線。

 もう、目が離せない。

   キミの蓋を開けるのは――。   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 キミは紅茶みたいに微笑まない。

  コーヒーみたいにかっこよくもない。

   エナジードリンクみたいにぶっ飛んでもいない。

    だけど、やっぱりキミがいい。

   たとえ草むらに寝そべっていても、

ひと目で分かる、いつものサイダー。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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”――野生を、飲み尽くせ――”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ここに僕がいる。

 そこに三ツ矢サイダーがある。

 ずっと繰り返してきた人間の営みの。

 最後の終着点はここ。

 人間 ≠ サイダー。

 だから僕らは、分かり合える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 思い出の隣に、

 大好きなジュースがあること。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 という遊びをひとりでやっていました。

 とても楽しかったです。

 

人助け

 棚の裏は100年間放置された森の奥の洋館の開かずの間のタンスの陰に張り巡らされた蜘蛛の巣のようにケーブルが行き交っていた。あらゆるケーブルが交わり、絡み合い、今なお増殖しているかのようだ。それを見た道尾さんは「もうイヤッ!」と叫んだ。道尾さんは男性なのだけれども叫び声は女性に負けぬほどか細かった。しかしながらそんな声を出したくなる気持ちも理解できる。これから道尾さんはこの棚の裏に一人で入っていき、レーザートラップをかわす007のようにケーブルを避けつつ5m先にある故障した機械のボタンをひとつ押し、再び全てのケーブルをかわして帰って来なければならないのだ。ケーブルとケーブルの隙間は、一番広い場所でも30cmほどしかない。どうして仕事道具にスモールライトが無いのか不思議で仕方ない。ケーブルは棚側に設置された機械と、壁側に設置された機械に接続されていて、そのどちらの機械もきちんと動いているので一本でも外してしまったらとても良くないことが起きる。具体的に言うと道尾さんはきっと始末書を書くことになる。なぜそんな危険なことをしなければならなくなったのかというと、これはもう人間の業のせいである。色々な問題が重なっている。それを今並べたてることには意味がない。無理だと思われることでもやらなくてはなら無い時があるものだ。たとえ後からさんざん嘆くのだとしても。
「よし、迷っても仕方ない! やってみよう!」と言って道尾さんは隙間の広そうな場所をみつくろって慎重にケーブルをかき分ける。力を入れすぎると機械からケーブルが外れてしまう。道尾さんは狭い隙間にゆっくりと頭を入れ「いや、これは普通に無理」と言いつつ、ゆっくりと戻ってくる。今度は脚を入れてケーブルをまたぐことにしたらしく、両手でケーブルを広げ左足でふらふらと立ちながら右足のつま先をそっと隙間に入れた段階で「アッ、アッー!」などと言って早速限界が来たらしい。脳裏に最悪のシナリオが再生される。道尾さんはそのままバランスを失い、周囲のあらゆるケーブルを引きちぎって転ぶ。その瞬間、会社の屋上に設置された発電マシーンがバチバチ火花を上げて煙を吹き轟音と共にオレンジ色の閃光を放って爆散する。地響きの後に鈍い震動。大規模な停電とビルの外で巻き起こる爆発と悲鳴。失敗した失敗した失敗した。それだけはよくない、それだけは! と思った僕はすかさず道尾さんの脇の下に「失礼しますッッッ!!」両手を差し込んで彼を支える。ぐらぐらと揺れていた道尾さんはゆっくりとバランスを取り戻し、右足をケーブルの外に出して地べたに這いつくばって呼吸を荒げる。「死ぬとこだった……」とつぶやいた後、がばりと立ち上がり「しじみさん、モップの柄でケーブル広げててくれない?」なるほどそんな手があったのかと膝を打った僕は掃除用具入れから自在ボウキを二本取り出してすぐに戻り、さっそくケーブルの隙間を柄で広げてみる。道尾さんが手で広げていた時よりもたしかに入り口は広くなったようだけれど、それでもやはり大人が通るには狭すぎるように感じる。道尾さんも苦々しい表情を浮かべて腕組みをするばかりで次に打つ手が思いつかないようだ。だが道尾さんはその道のプロ、何年もこうして仕事をしてきた人だから解決策だってあるはずなのだ。期待を込めた目で道尾さんを見つめていると、彼は表情を引き締めて僕を見返し「飛び込み前転するしかなくない?」と言う。道は無い。プロでも無理なことはある。ろくに訓練すらしたことがないのに火の輪くぐりをしようというのは流石に蛮勇が過ぎる。「時間がないなあ! ああもう仕方ない、棚の機械を全部終了させるしかないよ。その上でケーブルを外して道を作ろう」「でも道尾さん、機械を止めたら良くないことが起きるのでは」「でも他に道はない。起動状態でケーブルが切断されるより、正規の手順で機械を停止してケーブルを外すならオッケーなんだと思う。たぶん」道尾さんは自分を説得し終えてうんうんとうなずいている。たぶんオッケーではないんだろうなと思いながら僕も従うしかない。というか僕はその時、一体自分は何をやっているのだろうと真剣に悩んでいた。とっくに業務の時間は終わっているのだけれども、道尾さんが作業部屋の裏で何か忙しそうにしていたので「何かお手伝いしましょうか?」とうっかり声をかけてしまったのだ。道尾さんは「助かる!」と嬉しそうにしていたけれど実際にはやれることは何もない。彼がケーブルから出たり入ったりするところをぼうっと見ていることしかできない。それでも心強いというのなら万々歳ではあるけれど、逆に作業を見られていたら邪魔じゃないだろうか? と、そんなことを考えている間に道尾さんは棚の裏から出てきて棚の前に移動し、機械の停止ボタンを今まさに裂帛の気合と共に押そうとしており、「おい貴様なにやっとるか!」と、突然現れたAさんにめちゃくちゃ怒鳴られて飛び上がった。
「いえ、あの、棚の機械を停止させてケーブルを」「それをやったら良くないことが起きるって言ったじゃないか!」「いやでも、裏のケーブル無理じゃないですか……?」「そうじゃない! 全然違う!」とAさんは激怒したまま棚の機械をよじ登り始めた。スパイダーマンのようであった。棚側に出ているスイッチやキーボードを華麗にかわして棚の頂上までするすると上ると、そのまま棚の頂上で「こうだよ!」と叫んだ。「それですね!」とは思えなかった。「どれだよ!」と思った。Aさんは棚の裏に姿を消した。と同時にすぐに棚の上から真っ赤な顔を覗かせて棚を下りてきて、そのまま部屋を出て行った。道尾さんは服についたほこりをパンパンと叩いて払って、氷山のもっとも深いところにある氷の結晶のように澄んだ無表情で「ありがとう。俺ひとりだったらさ、本当におかしくなってたかもしれない」と言った。
 

衣替え

 洗濯物を干している。
 センタクバサミにひとつずつ靴下を留めていく。
 ビジネス用の黒い靴下ばかりだ。
 黒い靴下は柄の違いを見分けるのが面倒なので、種類の違う物同士でもまとめて吊るす。
 履く時に柄を合わせればいいと思っている。机上の空論である。実際には柄の違う靴下を履いて出社することもある。「靴下の柄を間違えていますよ」と言われたことはない。靴下の柄が違っていることによって被る不利益は朝、寝ぼけた頭で「靴下の柄を合わせなくてはならない」と思う、その一瞬に小さなストレスを感じることのみである。しかし小さなストレスも積み重ねれば大きなストレスになるはずだ。
 干したばかりの靴下は全部で5足あった。
 すべてごみ箱に捨てた。
 気に入っていなかったレモン色のシャツも捨てた。
 何年か着たピーコートも捨てた。
 色あせた紳士肌着も捨てた。
 なんとなく生地が薄くなっているボクサーパンツも捨てた。
 袖に小さな染みがついたワイシャツも捨てた。
 ユニクロに行くことにした。

 ユニクロで13000円分の買い物をした。
 あたらしい衣類が入っている買い物袋はふっくらと膨らんでいた。
 靴下は9足買った。全て黒色で、全て同じ柄のものだ。これで毎朝迷うことはない。
 ボクサーパンツも2着買った。同じ色の同じ柄のものだ。
 ワイシャツを2着買った。白色の同じ柄のものだ。
 オックスフォードシャツを2着買った。サイズも色も柄も全て同じものだ。
 帰宅し、全ての衣類のタグを切った。下着を収納ボックスにしまった。ワイシャツを吊るした。オックスフォードシャツは楽器の上に置いた。
 春の準備をしようと思った。

 押入れの戸を開くと薄い木の匂いがした。
 春夏用の衣類が入っている収納ボックスの一段目を引き出すと去年の僕が入っていた。
 去年の僕は収納ボックスから這い出してきてリビングで背伸びをした。
 冷蔵庫を勝手に開けてサッポロ生ビールの缶を取り出し、換気扇の下でぼうっとしながら煙草を吸っていた。
 煙草を消したあと、プレイステーションの電源をつけてゲームをやり始めた。
 僕は恥ずかしくなった。
 去年から何も変わっていない。
 仕方ないので押入れの収納ボックスに入った。
 未来の僕に期待しようと思う。